実存と本質、肉体と精神、本能と理性
~あるいは未来からの古生物学的考察~

『自分』とは何か?考えたことはあるだろうか?
『あなた』は何で規定されているか?物質的な存在としての体“Body”なのか精神的な存在としての心“Spirit”なのか、どちらが『あなた』の主体と答えられるだろう?
まず“心”と答えるほうが多いように思えるが、その基盤は“体”であることを忘れてはいけない。これは実存と本質の関係でもある。
あなたの意識が有する“価値観”はあなたの“生命”あってこそのもの。社会の“価値観”は社会の“物質的存続”あってこそ、そして人類の“価値観”はヒトの“種の保存”なくしては消滅する。
ところが昨今ヒトの心が創造した“理性”は肥大化し、体が継受してきた“本能”を圧倒するところまで行き付きつつある。その名は『人権』という。
そもそも人権には物質的根拠はなく、精神的な共通合意に基づいている。ところがそこから派生してきた“ジェンダー思想”“LGBTの権利尊重”“同性婚の保障”等の思想は権利論としては正しくても、ヒトの生き物としての本能を否定する主張に展開されつつある。
生き物の最も重要な本能は何か?『個体保存(生き延びようとする)本能』はもちろん重要だがそれ以上に『種族保存(次世代を作ろうとする)本能』が重要なのは理解できると思う。自分の命を危険にさらして、若しくは実際に命を捨てて、子を産み育て守る生き物の行動は枚挙にいとまがない。
『利己的遺伝子説』によれば「遺伝子が自己複製を増やすために生命個体を操っている」と規定される根本的な本能になる。
ところが今、人が子を産み育てるための社会的行動、またそれを推奨支援する社会的制度、それを賛美奨励する社会的思想が、上記の思想に「差別的だ」と事あるごとに攻撃されている。しかし理性としての『人権思想』が本能としての『種の保存』を否定してその先に何があるのか?

体を否定した心はもはや体を超克するしかなくなる。それがどんな形で実現するか、理想的な“Spirit”を持ったロボット達だけで作る世界が来るのか?ヒトの“価値観”を受け継いだヒトとは別な種の世界なのか?それともSF小説のように“Spirit”が“Body”を何らかの形で離脱して“魂(Soul)”のような形で存在できるようになるのか?
分からないが少なくともヒトはいなくなるだろう。

昔の化石を調べて、例えば「この生き物は角を大きくし過ぎて絶滅したのだろう。」と学者が言うことがあるが、何億年か先、ヒトの化石を調べた学者はきっとこう言うだろう。
「この生き物は前頭葉を発達させすぎて滅んだのだろう。」

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