『ダスグプタ・レビュー』の今さら感
~大量発生は昆虫に学べ~

今『ダスグプタ・レビュー』というのが注目のトピックらしい。私も朝日新聞の記事で初めて知った。
そこでは『エコロジカル・フットプリント』なる概念で、人類の活動を支えるために必要な地球の環境面積が、現実の地球の面積を大きく超過している実態が指摘されている。今は人類の環境消費が地球の環境収容力を大きく上回る“オーバーシュート(超過利用)”の状態らしい。エコロジー経済学では経済が対象とする自然は「無限ではなく有限である」というパラダイムが斬新なのだそうだが、以前の投稿『百万の白石と百万の黒石』にもあるように「知ってた!」って感じ。

でもこれって何か既視感を感じてしまう。今から50年ほど前、世界の人口が35億を超えて「このまま21世紀になると70億を超えて、人類は地球資源を喰い尽くし絶滅する。」という終末論がマスコミに盛んに取り上げられた。『世界終末の日の報道』を模したドキュメンタリー番組が子供心に怖かった。『ソイレント・グリーン』なんて映画も話題になった。

そして今、本当に70億を突破し地球の環境資源を喰い尽くしつつある。(オーバーシュートは蓄積された資源を取り崩しながら破局を一時しのぎで先延ばししている状態らしい)
世界人口の推移のグラフを見たことがあると思うが、ここ数百年の人口増加(人口爆発)は異常としか思えない。対数目盛のグラフで見ても明らかに尋常ではない。皆(口にこそしなくても)この増加が今後も続けられるとは感じていないだろうし、さらには今の人口でもこのまま“sustain(維持)”できるとは(認めたくはないが)無理だと感じているのではないか?
まさしく“ヒトの大量発生”である。

生物界では或る種の生き物が大量発生することが時々起こる。昆虫などによく見られ“バッタの大発生”はよく知られている。それらはその地域の生物バランスに著しいダメージを与えるが、完全に破壊しきることなく終息し、その生物も絶滅を免れる。それは個体数の急増加ののち急減少が起こるためらしい。その原因は天敵(例えば寄生バチ)や病原性微生物(例えばウィルス)だという研究もある。
“COVID-19”がそれにあたるかはここでは触らないが、ヒトにも何らかの急減少因子が発生することは不思議ではない。しかしいずれにせよ、『エコロジカル・フットプリント』の考えに立てば、このままでは50年前に恐れた破局が本当に訪れ、人口の大減少(つまり大量死)やその過程での国家間大闘争期による世界秩序崩壊が起こりうる。(ヒャッハーの世界かも)

客観的に考えて、世界人口は現時点より減らすしか道は無さそうに思えるが、ただ無策に放置すればそれは自然の摂理に基づいて数百年前に戻る減少期を迎えるかもしれないし、さらにその変化が数十年で進行すれば、耐え難い痛みとともにそのまま絶滅に至るかもしれない。(微生物培養では増殖しきった後の減少期を“死滅期”という)
ヒトの智によって自己コントロールによる(抑制ではない)人口減少をすることができるか?数世紀をかけて徐々に、そしてその間の『エコロジカル・フットプリント』を安定させながら。
他の生物に叶わない道を進むことができるだろうか?

ただ人口減少のフェーズに入るときは、人類の価値観は大転換せざるを得ないだろう。思想はその物質的環境に縛られ超克することはできないのだから。
“ディストピア”と評される某隣国のやり方が合目的的かもしれない。認めたくはないが。

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