LGBTはもう古い
~LGBT法成立に思う~

先日国会でLGBT理解増進法が成立した。(令和5年6月16日)
基本的に私は「LGBT差別反対」に懐疑的な立場で、法案そのものに反対する勢力に共感する方だが、この修正された法律が推進派からも大きな失望と反発を招いている状況は、逆説的にはこれで良かったとも感じられる。
この種の法律が何もない状況では、その時の政治情勢によっては、いつ何時元の超党派案のような過激な原理法が日の目を見るかもしれない。今回現法が成立したことで今後それを覆すことが非常に難しくなった。

一連の議論の中で「日本は先進他国に比して周回遅れだ」という主張があったが、逆に言えば一周先を行っている他国が様々な問題に躓いている。そういった国々を他山の石として日本は慎重に歩んでゆけば良いのだろう。
「自称女性の身体男性が女性スペースに侵入する」という保守派やフェミニズムの懸念を推進派は「絵空事」「デマゴーグ」と否定するが、今最高裁では「性別変更の手術要件の合憲性」と「トランスジェンダー女性のトイレ使用制限の適法性」について審理がなされている。
前者は大陪審の審理であり、もし戸籍上の性別変更に性変更手術が必要ないとされれば本当に男性の体のままの法律上の女性が現れ、当然ながら“彼ら”は自分たちの権利を声高に主張するに違いない。
後者は、経産省勤務のトランスジェンダー女性(戸籍上男性)が職場の女性用トイレの使用を制限されたことを不当と訴えたもので、まさしく上記の女性スペース問題そのものである。2審では制限を適法としたものの最高裁が弁論を開いたことで判決が覆される可能性があり、7月11日に判決が言い渡される。
この2件の裁判は今回のLGBT理解増進法制定以上に社会に大きな影響を与える可能性がある。差し当たり7月11日の判決は注目である。
とどのつまり、性的マイノリティの権利擁護に関しては一部のマイノリティが一般女性(normal female)と利益相反であることを認めて、他のマイノリティの権利主張(LGBT権利活動)から除外すべきだと思う。(LGBTってやっぱキモい?参照)

ここで表題の話に戻そう。
今回の法律でのマスコミ報道でも性的マイノリティを“LGBT”と表している。しかしその4文字では収まらず“LGBTQ”や“LGBTQ+”とすべきとの主張も現れていて、少し調べると“LGBTQQIAAPO2S”なんて主張まであるらしい。性的な特性など雲霞の如くあるのだから当然である。
そもそもLGBTなる用語は性的マイノリティの中でも当時比較的メジャーで組織的でもあった4種のカテゴリー“L”“G”“B”“T”を単に羅列しただけであり“L”“G”“B”“T”はそれぞれ全く特性の違うものである。
例えば「ゲイ」と「おかま」は同じか違うか?これすら正しく説明できない人が多い。後述するが“SOGI”で考えれば両者は全く別である。「ゲイ」は性自認シスの同性愛者の身体男性なのに対し「おかま」は性自認トランスの異性愛者の身体男性となる。(もちろんこれら特性はスペクトラム的で時間や状況で遷移する場合もありうるものではある)
このように「性自認」と「性的指向」で整理すると“L”“G”“B”は「性的指向」、“T”は「性自認」に分類される。これらを単に羅列することが混乱の一因でもある。
用語は時とともに変遷する。かつて「知的障害」は「精神薄弱」と呼ばれていた。「統合失調症」は「精神分裂病」と呼ばれていた。どちらも公的用語として変更された。時代にそぐわなくなれば変えていくことは自然な流れだろう。
今“SOGI”という用語が浸透しつつある。これはSO(sexual orientation:性的指向)とGI(gender identity:性自認)の2軸によって人々の性を把握しようとするもので、性的マイノリティのみならず性的マジョリティも含めてすべての人々を包括する考え方である。

マスコミや社会も“LGBT”という用語を廃し“SOGI”に移行すべきである。ただ自分たちの権利を主張し獲得したい「LGBT活動家」達にとっては自分たちの存在が“SOGI”の中で薄まるのには猛反発することだろう。

今回少し調べた中で“LGBTPZN”なる言葉が出てきた。これはLGBT運動に対する悪意ある攻撃で、LGBTにPZNを加えることでLGBT運動を貶めようとする動きらしい。Pは小児性愛、Zは動物性愛、Nは死体性愛でこんなのをくっつけられたら確かに堪ったものではない。
関連サイトでは「PZNは性的嗜好に過ぎない」としているが、ちょっと待て、それを言うなら “B”だって性的嗜好ではないのか?昔は“両刀使い”などと言ったものである。“B”が入るんだったら“S(サド)”だって“M(マゾ)”だって“R(ロリ)”だって一緒だろう。
「小児性愛やサディズムは犯罪性癖だ」と言われるかもしれないが、嗜好そのものは犯罪ではない。例えばロリコンの人物が安達○実似の成人女性と対等な恋愛関係になったのち、合意の上でその女性にその手のコスプレをしてもらっても何ら問題はない。要は「性的指向」の対象の尊厳が守られているかが問題である。
更に言えばその手の欲求に応えるありとあらゆる合法的風俗ビジネスがあり、そこで性的嗜好を発散する分は褒めたものではないにしても批判されるものではない。男性が性的衝動を抱くのは正常な生理現象であり、繰り返すが「性的指向」の対象の尊厳が守られている限り社会の営みの中に位置づけられるべきである。

ということで“LGBT”という用語は含意的な妥当性が十分ではなくなっており用語の見直しがされるべきだろう。

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