新説『諸法無我』
『諸法無我』という言葉をご存じですか?仏教用語で三法印とか四法印とかの教えの中で『諸行無常』と対句的に出てくる言葉です。
『諸行無常』の意味はそんなに難しくなく理解できるけど、『諸法無我』の意味はよく理解できず、自分なりにいろいろ考えてみました。
仏教の中だけだはイメージが難しいので、他の思想と比較してみましょう。仏教の東洋思想に対して西洋思想のキリスト教ではどうでしょう。
キリスト教は一神教、唯一無二の“神”が世界(宇宙)を創世します。聖書では「はじめに言葉ありき」という一説が有名です。この“言葉”とは私は“意思(mind)”と理解します。つまり“言語(language)”ではなく神の意思がすべての始まりであると。そしてそこからすべてが創出されます。
ということはこの世のあらゆるものには神の意思が込められています。生き物を含めたすべての事物、自然界を含めたあらゆる事象はすべて神の意志によるものとなります。
もともと西洋で科学が発達したのは、自然界に隠された「神の声」を聞くためであり、原理や法則を解き明かすことで神の意志に触れようと多くの科学者が取り組んできた賜物だといわれています。
つまりこれは『諸法有我』ではないでしょうか?
そしてそれに対する『諸法無我』であると、つまりこの宇宙はただ存在するのでありそこには“意思”は存在しないと。
なかなか自分でもよくできた考えだと、先日お参りに来ていただいたお住職にこの考えをぶつけてみました。するとあっさり「違います」と否定されてしまいました。(泣)
『諸法無我』とは「すべてのものは関係しあっている」「世の中のすべてのものごとは、つながりあっていて、個として独立しているものは一つもない」という意味だそうです。
うーん残念ではありますが、自分なりにはよくできた解釈だと思っているのでここに晒しておきます。お気に召したら参考にしてください。(笑)