アメリカ合衆国を悼む vol.2
2025年9月10日(現地時間)チャーリー・カークが射殺された。
前回の『アメリカ合衆国を悼む』から8か月、おったまげーなことが連日のように目白押しだったが所詮はトランプのやること、そう思えば驚くには値しないと太平洋の対岸から傍観者として眺めてきた。一つ一つに反応していたらキリがないのもあってブログも長らく休止していた。(忙しかったし)
トランプがやっていることは外形的には専制君主を目指しているようだが、その本質は大きなおもちゃを手に入れたガキでしかない。
その幼稚なしかしながら強烈な揺さぶりをアメリカ合衆国の民主主義システムが慣性力として制振しようとしているが、もうすでに大きく軋み始めている。
しかしこれまでは“トランプの所業”で済んでいたのが、MAGAの大物をやっちゃったのは新しいフェーズに入ったことを意味する。しかも仕掛けたのは反トランプ側というのも大きい。(まだ確定ではないが状況的には間違いなさそうだしどちら側もその確信の上で反応することは間違いない)
(本当は『樅ノ木は残った』のようにひたすら耐えるべきだったが)
これからは双方の“somebody”をチョメチョメする事態が容易に想像される。「向こうがその気なら」「やられたらやり返す」「倍返しだ!」
とうとうバナナ共和国やねw
差し当たってはカリフォルニア州のギャビン・ニューサム知事の身の安全が危ぶまれるが、まあでも連邦判事にしろFRB理事にしろ、今後トランプに立ちはだかろうという人たちは、もうそれだけで命懸けである。
そして国は崩れていく。