LGBTってやっぱキモい?

今LGBTの権利擁護で世間が騒がしい。「当然のことだ」と“進歩派”“人権派”が声高に叫ぶ一方で、「社会に馴染まない」と通奏低音のように“保守派”の反発がわだかまり続ける。それは世間一般にも言いようのない不協和音を醸し出し、敢えて表に出すと「差別的だ!」とされてしまいそうな中、鬱屈とした心の澱として沈殿している。
まず取り敢えず「LGBTと種の保存」については今回ここでは扱わない。「種の中に(LGBTのような)性的irregularは一定割合発生する」という生物学的命題と「全ての人は等しく権利を享受すべき」という欧米人権思想を“真”との前提で考えてみたい。
ならばなぜこの違和感が払拭されないのか?まず前提としてLGBTといっても、その“身体的性”“性自認”“性的指向”の組み合わせで様々なタイプが存在する。性自認では男か女かだけではなく「どちらでもない」とか「どちらでもある」とか、性的指向でも男か女かだけではなく「両方」だったり、もう何が何やらw
 さてその中ではっきり言って問題となるのが次の3タイプ
 ① 身体的性:男性、性自認:女性、性的指向:女性
 ② 身体的性:男性、外形的身体特性:男性、性自認:女性
 ③ 身体的性:男性、性自認:女性 のアスリート
まあこの3タイプは素で「キモい」んじゃない?
端的に言うと「トランスジェンダーのレズビアン」「自称女性の見るからに男」「ムキムキの自称女性選手」、これらの共通点は性的多数者の“普通の”女性の生活や活躍を脅かしている点。こんなのが横にいたらやっぱ嫌でしょ?
LGBT権利擁護論者はこれらの人達の権利主張が、フェミニズムの権利と相反であることを理解しLGBT権利主張の枠から除外すべきだと思うが如何に?

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